狂気か究極の愛か。Netflix映画『彼女』が見せた魂の救済と2人の旅路【ネタバレ感想】

狂気か究極の愛か。Netflix映画『彼女』が見せた魂の救済と2人の旅路【ネタバレ感想】
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こんにちは、yasuです。

「愛のためなら、人を殺せるか?」

そんな問いを突きつけられたとき、僕たちは常識や倫理という壁に守られて、答えに詰まるんじゃないかと思います。少なくとも、即答はできないと思います。しかし、もしその壁が崩れ落ちるほどの激情に飲み込まれたとしたら。

Netflix映画『彼女』は、まさにその境界線をアクセル全開で突破していく作品です。

水原希子さんとさとうほなみさんが全身全霊で演じる、逃避行の物語。配信開始直後から、その過激な性愛描写や暴力シーンが話題となりましたが、この映画の真髄はそこにはありません。剥き出しになった心と心がぶつかり合い、血を流しながらも「生きている実感」を掴み取ろうとする姿にこそ、見る者の魂を震わせる力があります。

今回は、原作漫画『羣青』は未読ですが、数々のドラマや映画を観てきた僕が、映画『彼女』の魅力を深掘りします。なぜ彼女たちは逃げなければならなかったのか。そして、絶望の果てに見つけた「光」とは何だったのか。救いのない物語の中に隠された、純粋すぎる愛の形を紐解いていきます。

Netflix映画『彼女』とは?狂気と愛が交錯するロードムービー

2021年にNetflixで全世界独占配信された映画『彼女』。監督は『ヴァイブレータ』や『軽蔑』など、孤独な男女のヒリヒリするような愛を描くことに定評がある廣木隆一氏が務めました。

物語の軸となるのは、裕福な家庭に生まれながらも同性愛者であることを家族に隠し、どこか息苦しさを感じて生きる永澤レイ(水原希子)と、貧困と夫からの壮絶なDVに苦しむ篠田七恵(さとうほなみ)です。高校時代の同級生であった二人は、10年ぶりに再会。七恵の「夫を殺して」という言葉を、レイが実行することから物語は急展開を迎えます。

「あんたの旦那、殺してきた」

その一言から始まる、あてのない逃避行。美しい日本の風景とは裏腹に、二人の状況は絶望的です。しかし、この映画は単なるサスペンスでも、犯罪ドラマでもありません。極限状態に置かれた人間が、互いを求め合い、傷つけ合いながらも「自分自身」を取り戻していく、魂のロードムービーなのです。

原作は中村珍氏による漫画『羣青(ぐんじょう)』です。連載当時から、そのあまりにも生々しい感情描写と、救いのない展開が読者に衝撃を与えたカルト的な人気作です。映画版では、原作の持つ熱量はそのままに、映画ならではの映像美と音楽(テーマ曲は細野晴臣氏)が加わり、より叙情的な作品へと昇華されています。

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水原希子とさとうほなみ、魂を削る「体当たり」の演技

この映画を語る上で避けて通れないのが、主演二人の演技です。「体当たり」という言葉では生ぬるいほど、彼女たちは役としてそこに「生きて」いました。

レイを演じる水原希子さんは、ファッションアイコンとしての華やかなイメージをかなぐり捨て、返り血を浴び、汗と涙にまみれた姿を披露しています。彼女の瞳には、愛する人を守るための狂気と、それゆえの脆さが常に宿っていました。特に、殺人を犯した直後の震えや、七恵に拒絶された時の絶望的な表情は、演技を超えたドキュメンタリーを見ているかのような迫力があります。

一方、七恵を演じるさとうほなみさん(ゲスの極み乙女。のドラマー、ほな・いこか)もまた、圧巻の存在感です。DVによって心身ともにボロボロになりながらも、レイの好意を利用し、時に残酷な言葉を投げつける七恵。一見すると身勝手な女性に見えますが、さとうさんの演技には、そうやって生きるしかなかった人間の悲哀が滲み出ています。

撮影中、二人は役柄と同様に極限の精神状態まで追い込まれたと語っています。順撮り(物語の時系列順に撮影すること)で行われた撮影は、二人の関係性が変化していく様をリアルに切り取ることに成功しました。最初は噛み合わなかった二人の距離が、逃避行を通じて肉体的にも精神的にも近づいていくグラデーションは、この二人だからこそ表現できた奇跡的な化学反応と言えるでしょう。

「濡れ場」の先にあるもの。性愛描写が描く本質的な痛み

本作は配信前より、その大胆な性描写やヌードシーンがクローズアップされることが多くありました。確かに、R18+指定相当の過激なシーンは存在します。しかし、それらは決して興味本位なものではなく、物語の核となる重要なピースです。

言葉で心を通わせることが不器用なレイと七恵にとって、身体を重ねることは、互いの存在を確認し合う唯一の手段だったのかもしれません。肌と肌が触れ合う音、息遣い、そして痛み。それら全てが、彼女たちが「今、生きている」ことの証明として描かれています。

特に印象的なのは、単なる快楽の描写ではなく、そこに常に「痛み」や「悲しみ」が同居している点です。愛されたいのに愛し方がわからない、救われたいのに救い方がわからない。そんなもどかしさが、激しい絡み合いの中に凝縮されています。

性描写を「見せるためのシーン」としてではなく、「感情の爆発」として捉えると、この映画の見え方は大きく変わります。裸になることは、服を脱ぐことではなく、心の鎧を脱ぎ捨てること。その無防備な姿こそが、観る者の胸を締め付けるのです。

DVと殺人から始まる「極限の愛」は成立するのか

「DV夫を殺害して逃げる」という設定は、社会的には決して許されることではありません。しかし、この映画を見ていると、善悪の彼岸にある「愛」の形について深く考えさせられます。

レイの行動は、七恵への一方的な愛、あるいは自己犠牲のように見えます。しかし、物語が進むにつれて、実はレイ自身もまた、七恵という存在によって「退屈な日常」や「偽りの自分」から救い出されたことがわかってきます。

「あたしの人生なんて、あんたがニコッとしただけでボロボロになるんだよ」

レイのこの台詞には、深い愛情と狂気じみた執着とともに、一点の曇りもない純粋さが込められています。誰かのために人生を棒に振ることができるほどの情熱。それは、現代社会を生きる僕たちが、賢く生きるために切り捨ててしまった感情かもしれません。

一方の七恵も、最初はレイを利用するだけの存在でしたが、レイが自分に向けた「絶対的な肯定」に触れることで、次第に自尊心を取り戻していきます。愛と憎しみは表裏一体と言いますが、この二人の関係はまさにそれです。憎しみ合うほどに求め合い、傷つけ合うほどに癒やされていく。その矛盾こそが、人間という生き物の複雑さであり、愛おしさなのです。

極限状態だからこそ浮き彫りになる愛。それは美しく整えられた恋愛ドラマのようなものではなく、もっと泥臭く、生臭く、そして強烈に輝くものです。

救いのない物語に見え隠れする「光」

逃避行には必ず終わりが訪れます。警察の手は迫り、所持金は尽き、車もボロボロになっていきます。ストーリーの展開としては、決してハッピーエンドとは言えないかもしれません。しかし、見終わった後に残るのは、不思議と爽やかな感情です。

それはきっと、二人が逃避行の果てに、誰のものでもない「自分たちの時間」を手に入れたからではないでしょうか。

映画の終盤、二人が互いの感情をぶつけ合うシーンがあります。そこで初めて、レイと七恵は対等な人間として向き合うことができました。DVの被害者でもなく、殺人犯でもなく、ただの「レイ」と「七恵」として。社会的な地位も、性別も、過去も全て脱ぎ捨てた魂の交流。

救いのない状況下であっても、「誰かに必要とされること」「誰かを本気で想うこと」があれば、人は光を見出すことができます。たとえその光が一瞬の輝きであったとしても、その記憶があれば生きていける。あるいは、死ぬことさえ怖くないと思える。

この映画が提示する「光」とは、解決や救済といった具体的な結果ではなく、絶望の中でこそ強く輝く「生命力」そのものなのです。

まとめ:狂おしいほどの愛情を目撃せよ

Netflix映画『彼女』は、決して万人に受ける心地よい映画ではありません。その痛々しさに、目を背けたくなる瞬間もあるでしょう。しかし、だからこそ、深く刺さる人には一生忘れられない作品となります。

この映画をおすすめしたい人:

  • きれいごとの恋愛映画には飽きてしまった人
  • 人間の感情の深淵を覗き見たい人
  • 水原希子さんとさとうほなみさんの役者魂を目撃したい人
  • 「生きること」の意味を改めて問い直したい人

中村珍氏の原作『羣青』が持つ毒と熱を、映画というエンターテインメントに昇華させた本作。エンドロールが流れる頃には、あなたの中にある「愛」の定義が、少しだけ書き換わっているかもしれません。

狂おしいほどの愛と、疾走する二人の姿を、ぜひその目で確かめてください。

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Wrote this article この記事を書いた人

yasu

yasu

YASU GAME LIFE CHANNELのyasu本人によるブログです。乙女ゲーム好きな実況者です。皆と居心地の良いストレスのない場所を作るのが目標です。今までの動画・ライブ配信のまとめだったり、日々の想いを綴ります。 ※当ブログはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載することがあります。

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