こんにちは、yasuです。
2025年10月期、SNSを騒然とさせたノンストップ考察ミステリー『良いこと 悪いこと』が全10話の放送を終えました。
間宮祥太朗さんと新木優子さんが主演を務めた本作は、単なる犯人捜しにとどまらず、人間の心の奥底にある「善と悪」の正体を暴き出すような、非常にエネルギーの強い作品でした。画面越しに伝わる緊迫感と、目を背けたくなるような描写の数々は、視聴者の価値観を根底から揺さぶったはずです。
今回は、この物語が私たちに何を問いかけたのか、そして凄惨な物語の先にどのような光を描こうとしたのか、じっくりと振り返っていきたいと思います。
タイムカプセルが呼び覚ます、封印されたあらすじ
物語は、母校の小学校創立50周年イベントでの同窓会から始まります。22年ぶりに掘り起こされたタイムカプセル。しかし、そこに入っていたのは懐かしい思い出ではなく、6人の顔が執拗に塗りつぶされた卒業アルバムでした。
かつてクラスのリーダーとして「キング」と呼ばれていた主人公・高木将(間宮祥太朗)と、当時はいじめの対象「どの子」と呼ばれていた記者・猿橋園子(新木優子)。二人が再会した直後、当時の仲間たちが次々と不審な死を遂げていきます。
犯人が実行しているのは、22年前に彼らが無邪気に歌っていた「替え歌」の通りにターゲットを殺害するという凄惨な復讐劇。全10話を通して、過去に何が起きたのか、そして「誰が」この惨劇を引き起こしているのかという謎が、重厚な心理描写と共に明かされていきました。
凄惨な描写が映し出す、逃げ場のない「心の痛み」
本作を語る上で避けて通れないのが、小学生時代の凄惨ないじめ描写です。正直なところ、このドラマはかなり人を選ぶ作品と言わざるを得ません。特に、クラス全体が加害者にも傍観者にもなり得る空気感や、ターゲットとなった子供への冷酷な仕打ちは、見る側の精神を鋭く削るほどのリアリティを持って描かれています。
しかし、この描写がこれほどまでに容赦ないのは、決して悪趣味だからではありません。いじめという行為が、時を経ても消えることのない「一生の呪い」になり得ることを、制作陣は残酷なまでに誠実に描こうとしたのだと感じます。
被害者が感じた絶望を、視聴者もまた痛みとして共有する。その「不快感」こそが、このドラマが提示する重要なテーマへの入り口となっています。ただ「悪いことだ」と断じるだけでは届かない領域へ、視聴者を無理やり引きずり込むような熱量がそこにはありました。
「人は変われない」という絶望を、希望への種に変える
物語の終盤、主人公である高木に対して、視聴者からは「結局何も変わっていない」という厳しい声が相次ぎました。過去の罪を忘却し、平穏な家庭を築いていた高木。しかし窮地に立たされた時、彼は再びかつての暴力的で独りよがりな「キング」の顔を覗かせます。
人はなかなか変われません。過去の成功体験や身についた性質は、20年という月日を経ても、魂の奥底にこびりついているものです。しかし、この作品が描きたかったのは「絶望」そのものではありません。
もし「人はどうせ変わらない」と最初から決めつけてしまったら、一生変わる機会すら訪れないという現実です。高木のように、自分の至らなさを突きつけられ、もがき、苦しむこと。その「痛み」を自覚することこそが、変化のための唯一のスタートラインなのです。自分の醜さを認めるという困難なステップを経て初めて、人は「これからどうあるべきか」を問う権利を得るのではないでしょうか。
視点が変われば、誰もが「誰かの加害者」になり得る恐怖
園子は記者としての正しい道を歩んでいました。いや、歩んでいたはずでした。しかし、園子が書いた記事のせいで、言われのない誹謗中傷を受け、自殺した方がいたということが中盤に発覚しました。園子はその事実に愕然としながらも、自分はただ「被害者」なのではない。自分のしたことで「加害者」になり得ることを知ります。そしてそれを、「覚悟」で飲み込みます。立場や視点を変えたら、被害者であっても知らないうちに誰かの加害者となっている可能性がある。この構図は、現代社会を生きる私たちにとって、鏡を見せられているような恐ろしさがあります。
また、本作の最大のトリックであり、最も残酷な真実は「どの子」という呼称の混同にありました。園子が「どの子」としていじめられていた一方で、実はさらに過酷な境遇にいた「ドの子」こと瀬戸紫苑という少女が存在したのです。
そのことを忘れていた高木たち。そのことがドラマの登場人物にだけでなく、視聴者である僕たちにも重くのしかかってきます。高木たちはとんでもない人間じゃないのか?やっぱり何も変わってないんじゃないのか?
その気持ちもまた、一種の「加害性」であることに気付かされます。他者への無自覚な攻撃に変わる瞬間。本作は、そんな人間の脆さをあぶり出しました。自分の生き方は本当に正しかったのか。これからどうあるべきか。それを考え続けることだけが、悲劇の連鎖を止める唯一の手段であることを教えてくれます。
物語が辿り着いた結末と、Huluオリジナルストーリーの重要性
最終的に、連続殺人の真犯人は判明し、事件は一つの終止符を打ちます。しかし、それは全ての傷が癒えるような爽快な幕切れではありません。自分が過去に犯した過ちで、大きな悲しみ、犠牲が生み出しました。自分の罪と一生向き合い続けることを余儀なくされた高木の、重い決意を淡々と感じさせられる静かな結末でした。高木は自らの過去を抱え、家族と共に、消えない罪悪感を背負いながら生きていくことになります。
事件は終わりましたが、彼らの人生はここからが本当の戦いです。現在、動画配信サービスHuluでは、本編の「その後」を描くオリジナルストーリーが配信されています。
本編では描ききれなかった各キャラクターの心情の機微や、凄惨な事件を経て彼らがどのように「再生」へと向かっていくのか。あるいは、やはり変われずに苦しみ続けるのか。「かつて子供だった全ての大人たち」へ贈るこのエピローグは、本編を補完し、物語をより深い次元へと誘ってくれます。彼らが選ぶ「これから」の姿を、ぜひその目で見届けてください。