【Netflix】映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』感想|永瀬廉と出口夏希が描く刹那

【Netflix】映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』感想|永瀬廉と出口夏希が描く刹那
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こんにちは、yasuです。

今回は、Netflixで配信開始と同時に大きな話題を呼んでいる映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』について、その魅力を深掘りしていきたいと思います。

タイトルからして、いわゆる「泣ける映画」であることは想像がつくと思いますが、本作は単なるお涙頂戴のストーリーではありませんでした。映像の美しさ、演者の繊細な表情、そして「期限付きの命」という重いテーマを扱いながらも、鑑賞後には不思議と心が洗われるような静かな感動が残ります。

森田碧さんのベストセラー小説を原作に、恋愛映画の名手である三木孝浩監督がメガホンを取った本作。King & Princeの永瀬廉さんと、今もっとも注目を集める若手女優の一人である出口夏希さんが織りなす、儚くも美しい世界観について、じっくりと綴っていきます。

もしあなたが、日々の忙しさに追われて「今」を見失いそうになっているなら、この映画はきっと特別な時間を与えてくれるはずです。

森田碧のベストセラー小説を繊細に映像化

本作の原作は、SNSを中心に口コミで広がり、「よめぼく」の愛称で親しまれている森田碧さんの小説「余命一年と宣告された僕が、余命半年の君と出会った話」です。文字で描かれた繊細な心理描写が、映像としてどのように表現されるのか、原作ファンにとっては不安と期待が入り混じる部分があるのではないかと思います。

実写化においては、原作の持つ空気感が損なわれることが懸念されがちです。小説ならではの独白や心情の機微は、映像にするのが難しい部分だからです。

しかし、本作はその懸念を「映像美」と「沈黙の演技」で見事にポジティブな要素へと変換していました。言葉で語りすぎないからこそ、風景の色彩や光の演出、そして俳優たちの視線の動きが、原作以上の雄弁さで観る者の心に訴えかけてきます。小説の行間にある感情を、三木孝浩監督ならではの透明感あふれる映像が補完しており、原作を知っている方も、そうでない方も、違和感なく作品世界に没入できる仕上がりになっています。

ネタバレ控えめ:期限付きの二人が紡ぐ「今」の物語

物語のあらすじを簡単にご紹介します。

美術の才能に恵まれながらも、心臓に腫瘍が見つかり「余命一年」を宣告された主人公・早坂秋人。絶望の中で生きる気力を失っていた彼は、病院の屋上で一人の少女・桜井春奈と出会います。

彼女もまた、重い病を患い「余命半年」という残酷な現実を突きつけられていました。しかし、春奈は秋人とは対照的に、死を前にしてもなお、明るく振る舞い、残された時間を精一杯生きようとしています。

自分の余命を隠したまま、春奈の「死ぬまでにやりたいこと」に付き合うことになる秋人。期限付きの恋と知りながら惹かれ合う二人ですが、その時計の針は残酷なほど正確に、終わりの時を刻んでいました。

ありふれた設定に見えるかもしれませんが、二人が交わす言葉の一つひとつに嘘のない重みがあり、観ている私たちに「今日を生きることの意味」を問いかけてきます。

King & Prince 永瀬廉と出口夏希が作り上げる儚い世界観

本作の最大の魅力は、なんといっても主演の二人が醸し出す空気感にあります。

主人公の秋人を演じるのは、King & Princeの永瀬廉さんです。アイドルとしての華やかなオーラを完全に封印し、死の恐怖と向き合う平凡な青年の葛藤をリアルに体現しています。

永瀬さんの演技について、一部では「抑揚が少ない」という声も聞かれますが、私はむしろそれがこの作品においては大きな強みになっていると感じました。大げさに泣き叫ぶのではなく、静かに絶望を受け入れ、その中で小さな光を見出そうとする「目の芝居」が素晴らしいのです。彼の纏うどこか寂しげな雰囲気は、秋人というキャラクターに深い説得力を与えていました。

そして、ヒロインの春奈を演じるのは出口夏希さんです。彼女の持つ圧倒的な透明感は、まさに「儚さ」そのものでした。

死期が迫っている役柄にもかかわらず、彼女の笑顔には悲壮感よりも生命力が溢れています。その明るさが、かえって観る側の涙を誘います。「かわいそうなヒロイン」として描かれることが多いこの手のジャンルにおいて、彼女は「可哀想」ではなく「凛とした強さ」を感じさせる存在としてスクリーンに映っていました。

二人が並んだ時の画の美しさは特筆すべきものがあります。言葉を交わさずとも通じ合っているような空気感は、永瀬さんと出口さんの相性の良さが生み出した奇跡と言えるでしょう。

「余命もの」の枠を超える映像美と演出の妙

正直なところ、「難病もの」「余命もの」というジャンルは、日本の映画市場において飽和状態にあるように思います。「またこのパターンか」と、食傷気味に感じる方も少なくないでしょう。

しかし、本作はその「王道」を堂々と貫くことで、ジャンル映画としての完成度を高めています。三木孝浩監督は、光の使い方が非常に巧みな監督です。病院の無機質な白さとは対照的に、二人が過ごす外の世界は、鮮やかな花々や夕日の光で満たされています。

特に印象的なのは「ガーベラ」の花です。物語の重要なモチーフとして登場する花たちが、画面全体を彩り、死という重いテーマを優しく包み込んでいます。

既視感のある展開だからこそ、私たちはストーリーの先読みをすることなく、純粋に画面の美しさと感情の揺れ動きに集中できるというメリットがあります。王道の展開は、裏を返せば「安心して感情を委ねられる」という安心感にも繋がります。ベタであることを恐れずに、真正面から純愛を描いた潔さが、この映画の品格を高めていると感じました。

ネガティブな感情さえも愛おしくなる脚本の力

劇中、秋人は何度も自問自答を繰り返します。「なぜ自分だけが」「なぜ彼女なのか」。そのネガティブな感情は、誰もが抱く普遍的な恐怖です。

映画の中では、こうした負の感情を無理にポジティブに変換しようとするのではなく、「弱さを含めて人間である」と肯定しているように感じられました。秋人が春奈のために嘘をつくシーンや、嫉妬や羨望を感じるシーンも、彼が本気で彼女を愛し、生きたいと願っている証拠として描かれています。

綺麗事だけではない、人間のエゴや弱さを丁寧にすくい上げているからこそ、ラストシーンの決断がより一層輝きを増すのです。ネガティブな要素はすべて、クライマックスの感動を最大化するための布石として機能していました。

物語の結末は

最後に、物語の結末について触れます。核心部分になりますので、未視聴の方はご注意ください。

奇跡的な回復で二人が助かる、といったご都合主義な展開は訪れません。春奈は、秋人に看取られながら静かにその短い生涯を閉じます。

しかし、物語はそこで終わりません。春奈の死後、秋人は彼女が生きた証を形に残すために、再び絵筆を執ります。春奈の影響を受け、当初の宣告であった一年を超えて生き続けた秋人。彼もまた、やがてその命を終えますが、彼が残した絵画や、春奈との日々を描いたSNSのアカウントは、多くの人々の心に残り続けました。

二人の肉体は消えても、彼らが「生きた証」は確実に世界に刻まれたのです。

切ない結末ではありますが、そこには確かな希望が残されています。エンドロールを見つめながら、今ある命を大切にしようと思える、温かな涙が流れるラストでした。

この映画は、大切な人と過ごす何気ない日常が、いかに奇跡的なことかを教えてくれます。今週末、ハンカチを用意して、この美しい物語に触れてみてはいかがでしょうか。

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yasu

yasu

YASU GAME LIFE CHANNELのyasu本人によるブログです。乙女ゲーム好きな実況者です。皆と居心地の良いストレスのない場所を作るのが目標です。今までの動画・ライブ配信のまとめだったり、日々の想いを綴ります。 ※当ブログはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載することがあります。

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